| 人を殺してはいけない理由について考えてみた。 結論から言うと、無国家状態のような無法地帯ならば人を殺しても罪にはならない。 人を殺せば地獄に落ち、善き行いをすれば天国に逝けるなんてのは人間の主観的な信仰(宗教)から生まれたようなくだらない迷信。 結局、倫理なんてのは人間の脳内にしか存在出来ない訳で、そこから出てしまえば全てが無に帰結する。 私達が見ている掲示板の文章、流れる音楽も元を辿れば、光の粒であり、空気振動であり、単純にそれらは脳というフィルターを介して顕在化している現象に過ぎない。 簡単に言えば、脳から一歩外にでたところには世界は無いし、意味なんてのは人間に存在する事を許されて(人間が作り出して)初めて存在出来るものなのだ。 話をかなり迂回させてしまったが、単純に人を殺しても良いという理由。 でも、殺人容認の社会なんてのは所謂文明社会とは程遠いものだよね。ていうかそんな社会すぐに滅んじゃうか? 結局は、その社会の目指すべき理想地点が何なのか?何が合理的であり、非合理か?その場合人間の価値をどのように位置づけるのが一番効率がいいのかってのが一番重要な問題なんだよな。 あと、人間の普遍的心理なのかどうかは知らないが、人を殺しても良い理論が定着すると自分が殺される可能性がある。私は殺されるのは嫌だ。自分の家族も殺される可能性もある。それも嫌だ。 その様な人間の心理も踏まえて、目指すべき理想地点を「経済、産業が隆盛し物質的に豊かになる事」と位置づければ、自由主義、国民主権、市場経済、人権思想。要するに今の日本みたいなシステムだ。 そして、この中で人を殺してはイケナイに直接関わる概念は人権思想。 人権思想とは全ての人間に平等に与えられている諸権利、詳細は生命、自由、幸福の追求やらなんやら(人権)を国家共同体が守っていこうという思想の事。 そういうシステムの方が社会の発展に有利なのは歴史が証明している。 要するに○○は殺して良いというシステムは社会の発展と位置づけるなら駄目で、全ての人に平等に生きる権利を与えた方が国家単位では発展しますよって事。非常に合理的ですよって事。 そして、私たちはこの国で生まれ、教育され育った。幼い頃から倫理を植え付けるのは効率が良い。固着観念も少なく、純粋にそうなのか〜と思い込みやすいからだ。 そのようなプロセス(植え付け作業)をえて人を殺してはいけない理論が人々に定着する。 早い話が人間の命は尊いのではなく、人間の命は尊いと位置づけた方が合理的だから。
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